2021年3月7日(日)復活前第4主日・受難節第3主日 宣教要旨

マタイによる福音書16章13~20節

「ペトロ、信仰を言い表す」

16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。

16:14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

16:15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

16:20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

フィリポ・カイサリアは、ローマの属州シリアに近い、パレスチナの北端に位置する町です。

ヨルダン川の水はこの地に発します。

ヘロデ大王の子フィリポと、ローマ皇帝カイザルの名をつけて、フィリポ・カイサリアと言います。

皇帝の町であり、パンの神をまつる異教の町でした。

ここでペトロが、あなたはメシア、生ける神の子ですと信仰を告白したのです。

主イエスが、弟子たちに、人の子、主イエスご自身のことを、人々は、わたしのことを何と言っているのかと問いました。

弟子たちは、人々はあなたのことを、洗礼者ヨハネであるとか、エリヤであるとか、他にはエレミヤであると言っていますと答えました。また、預言者の一人であると言っていると答えました。

人々はそう言っているが、あなたがたはわたしを何者だというのかと問うと、シモン・ペトロが、あなたはメシア、生ける神の子ですと答えたのです。

この町には、皇帝を神格化して礼拝する神殿の他、ギリシャの神々、特にパン神をまつる神殿がありました。さらに古くには、バール神、農耕の神祭儀の中心の町であったのです。

つまり、ペトロが、唯一神、あなたこそ神の子と告白したことに意味があるのです。

人々は、主イエスを、預言者であるとは思っていました。

洗礼者ヨハネの生まれ変わりと思う人もいました。

エリヤ、紀元前9世紀、北イスラエルに現れた大預言者エリヤの再来と思う人もいました。

エレミヤ、紀元前6世紀の南ユダ、バビロン捕囚期にかけての預言者の再来と思う人もいました。

しかし、ペトロは、あなたはメシア、すなわち油注がれた者、大祭司であり王である方、イスラエルが待ち望んでいた救主、生ける神の子ですと答えたのです。

主イエスは、シモン・バルヨナ、あなたにこのことをあらわしたのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだと言いました。

主イエスを、主、わたしたちの神、キリスト、生ける神の子と告白させてくださるのは天の父のなさることです。

パウロの、コリントの信徒への手紙一、12章に、聖霊によらなければ、誰もイエスは主であるとは言えないとあります。

ローマの信徒への手紙、10章にも、口でイエスは主であるとおおやけにいいあらわし、心で神がイエスを復活させられたと信じるなら、あなたは救われるとあります。

イエスを主、キリストと信じるのは、聖霊によります。神さまが主語であり述語であるような、神さまの働きなのです。

このあとすぐ、ペトロを、主イエスは、あなたは神のことを思わず、人のことを思っていると叱ります。しかし、弱いペトロは、神さまの導きによって、あなたはメシア、キリストと信じました。そこに、主を、イエスをキリストと信じる神の民、教会がたっていったのです。

ペトロの信仰告白の後半です。

主イエスの教会建設の宣言です。あなたはペトロ、わたしはこの岩の上にわたしの教会をたてる。よみの力もこれに対抗できない。そして、ペトロに、主イエスは、鍵の権能、天の国の鍵をさずけるのです。

ペトロの生涯は、キリストを裏切る生涯でした。

十字架につくことになる主イエスを、ペトロは、あなたを知らない、わたしとは関係がないと言い張りました。

その、弱いペトロの告白の上に、主の教会がたてられたのです。

教会はキリストの体です。キリストを頭として、わたしたちはその手足として組み合わされます。キリストがその土台でもあり、多様な証し人であるわたしたち、ひとりひとりの人間、弱い人間の上に教会をたててくださっているのです。

エルサレムで十字架に死なれた神、キリストに、この方にわたしたちの救いがあります。

彼は裏切られ、敵の手に渡され、裁判にかけられ、ののしられ、唾をかけられ、殴られ、引きずり回された。
 彼は十字架に釘づけにされ、二人の犯罪人の間に、その十字架は立てられた。

彼がまさに死につつある時、処刑者たちは彼の地上における唯一の財産、すなわち彼の上着をくじで引いていた。

彼が死ぬと、その死体は十字架から下ろされ、借り物の墓に横たえられた。ある友人からの、せめてものはなむけであった。

長い19の世紀が過ぎていった。

今日、彼は、人間の歴史の中心であり、前進する人類の先頭に立っている。

「かつて進軍したすべての軍隊と、かつて組織されたすべての海軍、かつて開催されたすべての議会と、かつて権力を振るいながら統治したすべての王様たちの影響力のすべてを合わせて一つにしても、人類の生活に与えた影響、人々のいのちに与えた影響の偉大さにおいて、あの『ひとりの孤独な生涯』には到底及びもつかなかった。」と言っても決して誤りではないだろう。

作者不詳、「ひとりの孤独な生涯」という文章です。

あなたはメシア、生ける神の子ですとの告白の上に、わたしたちの教会がたっています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加