2021年7月25日(日)聖霊降臨節第10主日 宣教要旨

9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。

9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

12弟子の一人、徴税人マタイが弟子になるお話です。

マルコによる福音書とルカによる福音書では、レビという徴税人が弟子になります。マタイとレビは、おそらく、同一人物でありましょう。

お話は、ガリラヤ湖畔、カファルナウムの町が舞台です。エジプトからダマスコに行く交通の要所で、カファルナウムには収税所がありました。

主イエスが通りかかります。主イエスは、収税所に座っていた徴税人マタイに、わたしに従いなさいと声をかけます。すると、座っていたマタイは、立ち上がり主イエスに従ったというのです。マタイは、主イエスの弟子になりました。

そして、そのマタイの家に、主イエスは出かけ、弟子たちや、徴税人や罪人が大勢いて、食事をしたのです。

問題がありました。

徴税人は、ローマへの税を納める仕事です。カファルナウムの管轄の収税所は、税の年額が決まっていました。それを請け負うのが徴税人で、あらかじめ税を立て替えたのです。

その後、税を集めるのですが、当然、多めに集めて、私腹をこやしていたのです。

ユダヤの徴税人は売国奴と言われました。支配者に仕え、同朋を苦しめると、非常に嫌われていたのです。

罪人と、神さまの救いからはずれた人々とレッテルを貼られた職業だったのです。

他の徴税人たちも集まり食事が始まりました。罪人も大勢やってきて同席しています。

罪人、異邦人、不道徳な人たち、不品行なことをした人たち、娼婦、盗人、高利貸し、博徒、汚れた病気の人たちが集まったのです。

食事をすることは、一番親しい交わりです。

ファリサイ派の人々は面白くありません。驚き、つまずきました。なぜあなたの先生は、徴税人や罪人と一緒に食事をするのかと言ったのです。

主イエスは答えられました。医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではないとはどういう意味か行って学びさいと言いました。

医者を必要にするのというのは、当時の格言です。医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。医者を必要とする人々は、嫌われていた徴税人です。また、文字どおり病人や、手当てをしないと助からない人々や、罪人だと言うのです。

括弧の中は、旧約聖書、ホセアの預言です。わたしが求めるのはあわれみであっていけにえではない。

ホセアは、不義の妻ゴメルとの結婚生活に苦しみました。不貞の妻ゴメルは、結婚したにもかかわらず、他の男の子を3人も生み、しかし、ホセアは御心と信じ育てるのです。さらに、自分から去った妻をまた迎えたのです。

神さまは、神さまから離れたわたしたち罪人を、また迎え入れてくださるというのです。それは、神さまのあわれみ、愛であり、いけにえ、形式ではないと言われたのです。

主イエスの食事は、神さまに答えるあわれみであり、ファリサイ派の人々の律法主義は、形式であるというのです。

行って学びなさいとは、厳しい言葉です。

主イエスの最後の言葉は、わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

自分たちこそ正しいと公言してはばからないファリサイ派の人々への批判です。

主イエスは、正しい人を招くために来たのではありません。罪人も悔い改めて、わたしに従って来たではないかと言ったのです。

主イエスは、完全な人を探し出したわけではないのです。罪人や徴税人が、逆に自分たちが不健康な生活をしていると気付いて、悔い改めて従って行ったのです。

わたしたちも、主イエスに招かれ、一緒に食事をします。礼拝をささげて、神さまに感謝します。

エフェソの信徒への手紙の2章です。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

罪人のために主イエスは来られました。

主イエスは、すべての人の平和となられました。

徴税人マタイを弟子にしたお話です。

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