2021年10月10日(日)聖霊降臨節第21主日 神学校日・伝道献身者奨励日 宣教要旨

マタイによる福音書22章15~22節

「皇帝への税金」

22:15 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。

22:16 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。22:17 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。22:19 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、22:20 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。

22:21 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

22:22 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

わたしたちは、現在、税金を納めるのは当たり前ですが、聖書の時代、ユダヤでは、税金を納めることは、必ずしも当たり前ではありませんでした。

ファリサイ派の人々とヘロデ派の人々が、主イエスに問いました。「ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。」

主イエスの言葉じりをとらえてとあります。彼らの質問は、税金を納めてもいいか、それが神さまに対して正しいことになるのかどうかと問うたのです。

当時のユダヤの税金は二種類ありました。ひとつは、神殿税です。宮に、シュケルというユダヤの貨幣に替えて納めました。この神殿税は、ユダヤの人にとっては、何の問題も無い税金でした。

もうひとつの税です。ユダヤの人にとって、必ずしも当たり前ではなかった税です。それは、国税、地方税に当たる税金です。ユダヤの領主が集める税金で、徴税人がこの税金を集めました。

結局、この税金がローマ帝国に入ることになったのです。

神殿税を払うことには何の問題もありませんでしたが、ローマへの税金は、税が重いとか、不正があるとかいう問題ではなく、ユダヤの人々の悩みは、この税が、ローマ帝国の皇帝に納めることになることが、最大の問題であったのです。

税を納めると、その権威、権力を認めることになります。ユダヤが、ローマ帝国の属国、支配下にあることを是認しなければならなかったからです。

この、ローマへの納税は、意見があった問題なのです。

この質問は、主イエスの言葉じりをとらえるためとあります。罠です。人をおとしめようとする質問、罠をかけるようなたくみな質問だったのです。仕掛けのある質問だったのです。

ローマに税を納めなさいと、主イエスが答えたとなると、ユダヤの人々は、主イエスは権力におもねるのかと言い、人々の心は、主イエスから離れるであろうと思いました。

税を納めなくてもいいと答えるならば、また、主イエスを訴える口実になります。

あれかこれか、どう答えてもうまくない質問だったのです・

主イエスの答えは、そういう彼らの仕掛けを見抜いて答えたものでした。

地上の現実をそのまま受け止め、そして、神さまに対してどう生きるかを、はっきりと示された答えです。

上手にかわしたというより、正しい生き方を示されたということではないでしょうか。

「イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。」

当時のデナリオン銀貨、ローマの貨幣は、表に皇帝ディベリウスの肖像が刻まれていました。「ローマ皇帝は神の子である」という刻印でした。

裏には、皇帝ディベリウスの母の肖像、「母なる神」の刻印がありました。

つまり、ローマ皇帝は神の子、その母は神さまという刻印です。

当時、ローマ時代、主(神さま)は、ローマ皇帝ディベリウスでした。

また、皇帝の誕生を、福音と呼んでいたのです。

こういう硬貨を使って、お金を、ユダヤ人の人たちは支払い、税を納めていたのです。

唯一の神、主を信じ、主がいつも共におられることを信じ、唯一の神さまを拝み、御教えに従って生きてきたユダヤ人にとって、納めるべきでない税でした。 

この税を、ファリサイ派の人びとは、納めるべきでないと言いました。

ヘロデ派、ヘロデ党の人びとは、政治的な派閥の人たちで、領主ヘロデについていたので、権力者であるローマに税を納めるのは当然と考えていました。

主イエスに質問してきた人々は、親ローマ、反ローマ、入り混じって、主イエスを罠にかけようとしたのです。

主イエスは、税金に納めるお金を見せないと言いました。お金を持って来ると、誰の肖像かと聞きました。

主イエスの答えです。皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。カイザルのものはカイザルに、神のものは神に、です。

主イエスの答えは、わたしたちへのするどい問です。

簡単に、主イエスの答えはたくみだ、うまく罠をかわしたと、聞き流してはいけません。

簡単に聞くと、主イエスは、ローマへの税ならば当然ローマに納めなさい。神のものは神に、神殿税は神殿にと言ったように聞こえます。

また、あるいは、地上の現実生活は地上のルールで、神さまのこと、信仰のことは信仰のルールでと、賢く、二元論で考えることもできます。

この世の知恵と信仰の知恵があるということです。

ある人が、主イエスの答えを、そのように簡単に聞き流してはいけないと言いました。

その理由ですが、「返しなさい」という言葉に注目しなさいというのです。

言われてみると、税を払う、税を納めるとは言いますが、税を返すとは言いません。

わたしたちのものの考え方です。お金でも、お金は自分のもの、税を支払う、納めるとは言いますが、返すとは考えていないからなのです。

主イエスは、なぜ返しなさいと言われたのでしょうか。それは、わたしたちが持っている財産、お金、もの、さらに大事なもの、健康や仕事や地位、家族、自分、子どもでも、自分のものではないのではないかと思うのです。

このように、するどく、主イエスの答えは、わたしたちに問うているのではないでしょうか。

そう考えると、自分が持っていると思っているものは、自分で手に入れたのかもしれないのですが、もともと、自分のものではなかったはずなのです。それらは、いただいたもの、預かっているのではないかと思わざるを得ないのです。ゆだねられていたものと言ってもよいかもしれません。

主イエスの答えは、そういう、これは自分のものというのは、間違っていると、問いかけているのではないでしょうか。

1デナリオン銀貨、ローマの硬貨を、誰の肖像と銘かと見せられたとき、主イエスは、自分のものは自分のものではないという事実にお気づきになったのです。

主イエスご自身、エルサレムで、罪人のために十字架につくことになります。自分の命は自分のものではないという事実によったのでありましょう。

皇帝のものですという答えに、では、皇帝のものは皇帝にと答えられました。主イエスは、自分は、自分のものでなく、とらえられて十字架刑につくのです。皇帝のものである、皇帝の領地にある自分は、皇帝にとお答えになられたのです。

そして、神のものは神に返しなさいと言われました。神さまのものであるものが、わたしたちにはあるのです。それは、お返しするものではないでしょうか。

あらためて、すべてのものは、わたしたちも、自分ひとりひとりが神さまのものなのです。

創世記の1章です。6日間で世界をつくられた神さまは、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」とあります。

神さまは、わたしたち人を、ご自分にかたどってつくられました。わたしたち人は、神さまにかたどられたので、似ているのです。神さまの似姿を、神さまのお姿を、わたしたち人は宿しているのです。

意味は、人は、神さまの肖像、銘が刻印されているということです。神さまの言が、御言がきざみ、書かれているのです。

ですから、神さまのものは、神さまにお返しするのです。

コリントの信徒への手紙二4章4節です。「神の似姿であるキリストの栄光に関する福音」という言葉がでてきます。人となられた神さまの独り子、主イエス・キリストこそが、まことに神さまの似姿なのです。

そしてその栄光は、わたしたちに対する福音、良き知らせであります。

すなわち、わたしたちひとりひとりをご自身のかたちに、似姿につくられた神さまは、その独り子を通して、その喜ばしい姿を取り戻していてくださるのです。

わたしたち人は神さまのものです。デナリオン銀貨が皇帝のものであるということ以上に、確かなことだと主イエスは言われました。

主イエスは、神のものは神に返しなさいと言われました。

自分も、自分の持っていると思っている、実は預かっている、委ねられている、いただいているすべての財産や命を、自分のものであるという考えから自由になって、神さまにお返しするのです。

神さまのものは神さまに、栄光をお返ししたらよいだろうというのです。

礼拝、賛美、祈りという、そういう生き方のことを言われたのだと思います。

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