2023年7月2日(日)聖霊降臨節第6主日 宣教要旨

ルカによる福音書17章11節~19節

「神を賛美するために」

17:11 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。

17:12 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。

17:14 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

17:15 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。17:16 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

17:17 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。17:18 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

17:19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

前半は、主イエスが、重い皮膚病の人を癒したというお話です。

 重い皮膚病というのは、当時、特別な病気でした。

病気であるとともに、それ以上に、宗教的な意味でも、社会的な意味でも、汚れた者とされ、忌み嫌われた病気でした。

 この病気は癒やされがたく、「生ける死者」、「死に捉えられている人」と呼ばれていたようです。しかも、町の中に、人々と共に住むことがゆるされず、家族からも切り離され、追いやられていました。

 この病気は、「直る」という言い方をしないで、「清くなる」と表現されます。

 清くされた人は、宗教的な指導者である祭司のところに行き、それを証明してもらう必要がありました。それで、やっと社会に復帰することができたのです。

 今日のルカによる福音書17章は、重い皮膚病の人が清くされたということだけではなくて、後半ですが、さらに、一人の人が、神さまを賛美するために、祝福のもとに生きるようになったということを告げています。

 お話は、主イエスを、その病を患っている十人の人が出迎えました。

彼らは、近くに寄れないので、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言いました。

 主イエスは、その人たちと会って、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言いました。ただ、そのように命じただけでしたが、彼らは、祭司のところへ向かい、その途中で清くされたのでした。

 そして、その中の一人が、自分が癒されたのを知って、大声で神を賛美しながら主イエスのもとに戻って来ました。その人は、ユダヤの人々が嫌っていた、憎しみ合っていたサマリア人でした。

この人は、主イエスの足もとにひれ伏して感謝したのです。

 主イエスは、「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」と言いました。

そして、その人に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言い、その人を祝福されたのです。

 重い皮膚病を患っていた一人のサマリア人、ユダヤ人から見れば外国人であるこの人が、神の国の民として、喜ばしく、神さまと共に生きる者とされたというのです。

 特に、この聖書の箇所から三つのことを心に留めたいと思います。

 心に留めたい第一のことです。「信仰」、ことに十人の人が示した信仰についてです。

 14節です。「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。」

 ここで、主イエスは十人の人に、ご自分の言葉に従って歩み出すようにと命じたのです。彼らは、主イエスの言葉に従って祭司のところに向かいました。

 まだ癒やしは起こっていません。けれども、重い皮膚病のまま、主イエスとその言葉に信頼して行動を起したということです。

 信仰とは、こういうことだろうと思います。その歩みの途中で、癒しが起りました。清くされたのでした。

 心に留めたい二番目のことは、「感謝」ということです。

 十人のうちの一人であるサマリア人は、自分が癒されたことを知って、大声で神を賛美しながら主イエスのもとに戻ってきました。

 そして、主イエスの足もとにひれ伏して感謝したのです。

 神さまに感謝し、感謝しつつ歩むことを知るということは、まことに喜ばしい救い、新しさです。

 この出来事は、主イエスがガリラヤとサマリアとの境を通ってエルサレムへ上る途中のことでした。ここに、わざわざ、エルサレムへ上る途中のことと記されているのは、意味のあることです。

 それは、天に上げられるため、十字架へと向かう主イエスの歩みに結ばれて、この出来事が起こっていることを告げています。

 主イエスは、その道を歩み通して下さり、十字架によって、わたしたちに罪の赦しを備えてくださいました。

 心に留めたい三番目のことです。それは、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」との主イエスの言葉です。

 癒やされて、主イエスのもとに戻ってきたサマリア人です。これからの人生において、なお、多くの困難が待ち受けていたことでしょう。悲しみや重荷を、なお背負うことでありましょう。人間関係もけっして易しいことではなかったと思います。

 しかし、主イエスは「立ち上がって、行きなさい」と言いました。

 立ち上がるとは、主イエスと共に神さまの恵みのもとに立ち上がらせていただくということです。行くとは、主イエスと共に、神さまの備えてくださる道を歩ませていただくということです。わたしたちもこの礼拝から、立ち上がり、出かけることができます。

 神さまを賛美する、礼拝する生き方があるというお話だと思います。

主イエスが、立ち上がって行きなさいと言って下さっているからです。

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