2020年9月13日(日)聖霊降臨節第16主日 宣教要旨

ヨハネによる福音書8章48~59節

「アブラハムが生まれる前から」

8:48 ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、8:49 イエスはお答えになった。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。わたしは父を重んじているのに、あなたたちはわたしを重んじない。

8:50 わたしは、自分の栄光は求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。8:51 はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」

8:52 ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。

8:53 わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」

8:54 イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。

8:55 あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。

8:56 あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」

8:57 ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、8:58 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」

8:59 すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。

わたしたちは皆、アブラハムの子、アブラハムの子孫です。

ルカによる福音書19章に、エリコの町をとおる主イエスを、ひと目見たいと、いちじく桑の木に登った、徴税人の頭ザアカイの話があります。その家に主イエスは泊まりました。主イエスを泊めたザアカイは、悔い改めて言いました。主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かからだまし取っていたら、それを4倍にして返します。ザアカイに主イエスは、今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだからと言いました。

わたしたちは、主イエスのお言葉に聞きます。そして、わたしたちは、主イエスが泊まってくださる家です。主のみ救いのあるところ、アブラハムの子とされているのではないでしょうか。

旧約聖書の創世記12章から24章に、アブラハム物語が記されています。アブラハムは、いったいどういう人であったのでしょうか。ひとことで言えば、アブラハムは、イスラエルの父祖、信仰の父ということができます。アブラハムは、神さまを信じて生きたと言うにつきるのではないでしょうか。

アブラハムは、ある日、神さまの声を聞きました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたの名を高める。」(創世記12:1~2)

アブラハムは、神さまの御声に聞き従い、行き先も知らないでハランを出発します。

アブラハムの信仰、このアブラハムの出発を、新約聖書、ヘブライ人への手紙11章は、「信仰とは」と、書き記しました。行き先も知らないにもかかわらず、神さまの導きに従うことを信仰と定義づけたのです。信仰に生きる、信仰を持って生きるとは、見えることを見て歩むということではありません。見えることを見えるままに従うことは信仰とは言いません。見えないけれども、神さまのお導きがあることを信じて出発するのが信仰です。

さらに、アブラハムは、ある夜、満天の星空を見せられます。神さまから、「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)と神さまの約束を聞くのです。

アブラハムと妻サラとの間には子どもがなく、すでに老齢でした。しかし、あなたの子孫はこの星空の星のように増えるという約束を、アブラハムは信じ得ないのに信じたのです。

信じるとは、誰もがわかることを信じるのではありません。アブラハムの信仰が、信仰ということの典型なのです。

ローマの信徒への手紙でも、アブラハムの信仰が記されています。子どもが生まれる年でもなく、子どももいない。しかし、神さまの御声を信じたその信仰、信じ得ないのに信じた信仰をたたえます。

アブラハムの最大の信仰は、信じ得ないのに信じて与えられた子イサクを、モリヤの山、今のエルサレムのことですが、イサクを犠牲にささげようとしたことにあります。(創世記22章)

神さまから、「お前の最愛の息子イサクを犠牲の捧げものとしてわたしに捧げなさい」との声、命令を聞きます。アブラハムは神さまに従うのです。

信仰は試練でもありました。モリヤの山でのイサク奉献、イサクを犠牲にささげようと、アブラハムがイサクを手にかけようとした瞬間、神さまは、「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが今分かったからだ。あなたは自分の独り子である息子すらわたしにささげることを惜しまなかった。」(創世記22:12)と言います。

一頭の雄羊が代わりに備えられ、その場所を、モリヤの山(エルサレム)をヤーウエ・イルエ、主の山に備えありと言われるようになったのです。

アブラハムの信仰の話を長々としました。アブラハムの子孫、わたしたちもアブラハムの子とされているのです。

アブラハムの信仰の系図にイエス・キリストが出てきます。イエス・キリストは、エルサレムの犠牲です。わたしたちは、アブラハムの信仰の子とされています。すなわち、キリストによって、アブラハムの子と、信仰の子どもとされているのです。

今日の聖書の箇所ですが、前の段落で、ユダヤ人たちは、「わたしたちの父はアブラハムです」と言いました。それで、主イエスが、「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが今あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこの私を殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。」(39~40節)と言いました。

そして今日の箇所で、ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると我々が言うのも当然ではないか。」(48節)と言うと、主イエスは、サマリア人ではないと言います。ユダヤ人と主イエスとのやりとりは、売り言葉に買い言葉ではないですが、言い合いになるのです。特にユダヤ人は、このサマリア人でないと言い出す始末です。

さらに、「わたしたちの父アブラハムよりもあなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったいあなたは自分を何者だと思っているのか。」(53節)と責め立てるのです。「アブラハムよりも偉大な人がいるわけはないではないか。それこそお前が神を冒涜している決定的な証拠だ。」と決めつけたのです。

わたしたちの主イエス・キリストは、昨日も今日も、そして明日も、とこしえにいますお方です。あの時もおられたし、今もおられます。

アブラハムは、主イエスの時代から1800年位前に生きた人です。一方主イエスは、アブラハムの時代もすでに存在していました。天地創造の時から存在していました。父なる神さまの傍らにあって、この天地創造のわざに加わられたというのが聖書の信仰です。

 わたしたちの主イエス・キリストは、天と地をつないでくださっています。私たちはその方のゆえに天を仰いで生きることが許されているのです。

わたしたちはアブラハムの子として生きます。アブラハムの子とは、信仰の子のことです。主イエスのゆえに、わたしたちはアブラハムの子とされているのです。

今日の聖書の続きです。彼らは、ユダヤ人たちは、「あなたはまだ50歳にもならないのにアブラハムを見たというのか」(57節)と言います。

主イエスは、「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から『わたしはある。』」(58節)と言いました。「わたしはある」(エゴー・エイミ)は、神さまご自身がモーセに告げられた神さまの名前です。主イエスは、「わたしはある」と言って。わたし神であると言って、殺意を招きました。彼らは、石を取り上げて、主イエスに投げつけようとしました。「神を冒涜する者は石で打ち殺されなければならない」と。

アブラハムの信仰とは、最初に、最愛の息子イサクを、独り子をささげるということと話しました。しかし、その時は、神さまは最後の瞬間にそれを止められました。「待て、殺してはならない」と。

ところが、神さまご自身が、最愛の息子、独り子である主イエスを犠牲にしました。誰も「待て」と止めることはありませんでした。「神はその独り子をお与えくださった程に世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)ということです。

神さまがどれほどのことをご決意されたのでしょうか。主イエスは、「あなたたちはその方を知らないがわたしは知っている。」「わたしはその方を知っておりその言葉を守っている。」(8:55節) わたしたちは何の取り得もない、主イエスの恵みにあずかる資格もないような存在です。しかし、神さまはその石ころのようなわたしたちを、アブラハムの子とするだけではなくて、主イエスの兄弟姉妹として、神さまの子どもとしてくださっているのです。

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