2021年2月14日(日)降誕節第8主日 宣教要旨

マタイによる福音書14章22~33節

「水の上を歩く信仰」

14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。

14:23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

14:24 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。

14:25 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。14:26 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。

14:27 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

14:28 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」

14:29 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

14:30 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。14:31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

14:32 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。14:33 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

ガリラヤの海はわたしたちの人生です。

風もなく、ほとんど波などひとつもない時もあれば、突風が吹いて、舟が波で沈みそうになる時もあります。

水面、マイナス200メートルのガリラヤ湖は、北西の1000メートルの山々から、突風が吹き荒れます。

弟子たちの舟は、突風で陸から離され、こぎ悩んでいました。水で舟がひっくりかえりそうなのです。

そこに、夜明け頃、主イエスが湖の上を歩いて来ました。

幽霊だと、弟子たちはおびえ、恐怖の叫び声をあげました。

すぐに、主イエスは、安心しなさい、わたしだ。恐れることはないと声をかけてくださいました。

その時、マタイによる福音書だけが記しています。弟子のひとりペトロが、主イエスが湖の上を歩いて来られたその様子を見て、主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてくださいと言いました。

来なさいという主イエスのお言葉に、ペトロは、舟からおりて、水の上を歩こうとします。すぐに沈みそうになるのですが、実際に何歩か歩くのです。

湖の上を歩くことは、常識ではありません。実際、沈むと分かっているペトロも、すぐに、強い風に気がついてこわくなり、あっという間に沈みそうになります。

最初は、主イエスの方をまっすぐ見ていたのですが、歩けるはずはないと思い、足もとを見てしまったのです。主イエスから目をそらしてしまったのでした。

しかし、主イエスが、手を伸ばしてくださって、ペトロは舟に戻ることができました。

 主イエスは、信仰の薄い者よ、何故疑ったのかと言われました。ペトロが、水の上を歩いている自分を疑ったというよりは、主イエスの助けを疑ったのではないでしょうか。

 聖書では、歩くという言葉は、人生を歩くという意味があります。

マタイによる福音書には、中風で寝たきりになった人が、床をかついで歩き出した話がでてきます。

病気で死んだと思われていた12歳の少女が、起きて、歩き出しました。

ただ歩くだけではないのです。無理かと思った人が、新しい人生を、赦されて、癒されて歩きはじめたのです。

ペトロは、信じて、水の上を歩きました。信仰が薄くて、すぐに沈むのですが、1歩、2歩と、水の上を歩いて主イエスの方に進んだのでした。

今日のお話ですが、最後に、ペトロは、主イエスに助けられ、舟に戻ります。弟子たちは、そこで見たこと、起きたことに驚きます。嵐はしずまり、本当に、あなたは神の子ですと主イエスを拝んだのでした。

 わたしたちの人生は失敗の連続であります。舟は前には進みません。人生というのは、なかなか期待通りにはいかないものです。

ほとんどのことは失敗します。また、湖の上を歩くことは、常識ではありません。

しかし、この世の中の第1歩は、どれも常識ではないのではないでしょうか。

 罪人が赦されました。あなたの債務はわたしが引き受けたと言われる主イエスが、わたしたちに、湖の上を歩いて来なさいと、声をかけてくださっているのではないでしょうか。

ペトロは、すぐに沈む湖を、水の上を、歩こうとして歩いたのです。

弟子たちは、権能をさずけられたのですが、信仰が足りなくて、人々をいやすことができませんでした。悪霊を追い出すことができませんでした。

自分の足元しか見ず、主イエスから目をそらしてしまうのです。

 しかし、主イエスを知らないという弟子にも、主イエスは、湖にしずみそうになる弱い人間を、助け起こしてくださいます。

ある人が、わたしたちの残りの生涯は、今日が最初の1日であると言いました。

教会は、キリストが乗っておられる舟です。

主イエスは、ずぶずぶと沈み込む湖を、そういうわたしたちを、手を取って引き上げてくださいます。十字架と復活のキリストが生きておられます。

それぞれの、湖を歩く信仰を与えられたいと思います。

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