2023年1月1日(日)降誕節第2主日 元旦礼拝 宣教要旨

ルカによる福音書2章22~38節

「神殿で献げられる」

2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。

2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」

2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

ルカによる福音書は、主イエスのご降誕の物語に続けて、シメオンとアンナという二人の人が、それぞれが、幼子にまみえたということを伝えています。

 アンナについては84歳であったと、37節に記されています。

シメオンについては何歳であったのか、記されていません。しかし、シメオンもまた老人であったと考えられています。

 それは、シメオンが、聖霊によって、メシアに会うまでは決して死なないとのお告げを受けていたこと、また、幼子である主イエスにまみえて、「この僕を安らかに去らせてくださいます。」と述べていることなどからです。

 ルカによる福音書は、主イエスの両親が、旧約聖書の伝統に従って、幼子が神さまの民の交わりに入るための儀式をつつがなく済ませたということを伝えています。

  シメオンが主イエスにまみえたのは、両親に連れられて、幼子がエルサレムの神殿に来た時のことでした。

 22節、「清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を献げるため、エルサレムに連れて行った」と記されています。

 この日は、「清めの日」と呼ばれます。子どもを産んだ母親が、身の汚れを清めるための儀式にあずかるためでした。

 律法によると、子どもを産むと40日間は不浄とされ、神殿に近づくことができませんでした。それから、清めの儀式にあずかって汚れを除くようにと定められていました。

 「その子を献げるため」とは、「初子の奉献」と呼ばれます。初めて授けられた子どもを神さまに献げ、またその子を授かり直す儀式でした。

 旧約聖書には、すべての初子、初めて授かった子どもは神さまのもので、父親は代価を払ってその子を譲り受けることとされていました。

 24節を見ると、主イエスの両親は、山鳩一つがいと、家鳩のひな二羽を「いけにえ」として献げるためであったと記されています。

 それは、貧しい人が献げた献げ物でした。本来は、小羊と山鳩を犠牲の献げ物とすべきなのですが、それを購入できない貧しい人のために、山鳩と家鳩とを献げるようにと律法に定められていたからです。

 これは、主イエスの両親が豊かな人たちではなかったということを伝える一つの証拠です。

 ルカによる福音書は、このように主イエスが律法を満たす義務を負う者として、律法のもとにお生まれになったということを伝えています。それは、この幼子が律法の下にある者を贖い出す方であることを示しているのです。

 その神殿で、シメオンは主イエスにまみえました。シメオンは、神殿にお入りになった救主を表敬したのです。

 このシメオンはエルサレムに住む敬虔な老人で、昔の預言者たちの語った言葉に思いを寄せ、その言葉に寄り添って生きてきました。

 彼自身、預言者でした。神さまの約束の言葉を守ってきたのです。

 シメオンは、預言者の口を通して語られていたように、救主が現われて「イスラエルに慰め」をもたらすことを期待していました。

ルカによる福音書は、この老預言者が、幼子イエスにまみえたということを記すことによって、この幼子は、昔の預言者が語っていた救主、メシアである。この方こそ、信仰を持って仰ぐべき方であることを伝えようとしているのです。

 そして、シメオン自身、人生の黄昏に、救主にまみえ、その生涯は満ち足りたものとなりました。

 シメオンは、幼子を腕に抱き、神さまを讃美して歌いました。

 この歌は、ヌンク・デュミトゥスとラテン語で呼ばれています。

 「主よ、今こそ、あなたは、お言葉のとおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

 短い賛歌ですが、大切なことが歌われています。

 それは、待望の時が終わって成就の時が始まったという喜ばしい確信と、救主の誕生によって、全世界のために救いが備えられたということです。

 「万民のために整えてくださった救い、異邦人を照らす光」とあります。これはマリアの賛歌やザカリヤの賛歌には見られない新しさです。

 主イエスの両親はその言葉に驚いていたというのです。人々の思いを超えて、救いが告げられたからです。

 シメオンはこれによって、来るべき方を指し示すという預言者の務めから解放されるのでした。

 34節以下には、シメオンが祝福して母マリアに語った言葉が記されています。それは、救主の担う定めについて語っています。

 すなわち、シメオンは、救主の受ける苦難を指し示し、それによって人々は信仰の決断へと引き出されること、この方への関わりかたによって、人は立ちもし倒れもするということです。

 このようにして、老預言者シメオンは救主にまみえ、神さまをほめたたえたのでした。

 ひとつのことを心に留めたいと思います。それは、平安ということです。

 シメオンがわたしたちを誘うのは「平安」ということです。

人間的な平安ではありません。人間的な平安は、憂いや、苦難や、貧しさ、試練、困惑、戦い、疑いを自分の身から遠ざけることでしょう。

 シメオンの伝えている平安は、神さまの平安です。神さまに根ざした平安です。

 神さまの平安は、決して苦難の放棄、試練の放棄ではありません。そうかと言って、反対に、わたしたちを圧迫する罪と重荷をふれまわることでもありません。

 神さまの与えたもう救主にまみえた平安です。

 ある人が、この賛歌を歌うシメオンのイメージを、夕暮れ時に、一日の労働を終え、満ち足りて家路につく人に比べました。

 夕暮れが迫っている。沈み行く陽の光の中を、労働を終えた僕が主人に報告に行く。すると主人は優しく彼を迎え、彼を去らせる。

 そして、夜の静けさの中へ彼は退場して行く。そのようなイメージです。

 一日の労働をなし終える。もとより、その働きは全てを全うするものではありません。彼に与えられた能力と時とに従って、その限界の中でなすところの働きにすぎません。

 残された働きを他に委ねて、自分の時から離れていきます。しかし、彼は、神さまがその労働をかえりみ、実りと祝福をもって締めくくってくださるということを知っています。

 どれだけ長い日々を待つべきか彼は知りません。死の夜が、何時そのつばさを彼の上に広げるかをも彼は知りません。

 しかしながら、神さまが成し遂げてくださるので、彼は、実りと祝福をもって終わるということを知っているのです。

 それで、シメオンは歌ったのでした。

 「主よ、今こそ、あなたは、お言葉のとおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

 シメオンの歌ったヌンク・デュミトゥスという賛歌は、教会の歴史においては、一日の終わりの祈り、晩祷の時に歌われてきました。ことに修道院で修道者たちが毎日歌いました。

 新しい年を迎えました。それは、この賛歌を、わたしたちが歌う一日一日が新たに始まるということではないかと思うのです。

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