2021年5月23日(日)聖霊降臨節第1主日 聖霊降臨日(ペンテコステ) 宣教要旨

マタイによる福音書12章15~21節

「神が選んだ僕」

12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、12:16 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。12:17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

12:18 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。

12:19 彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。12:20 正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」

聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝です。

使徒言行録2章です。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

ペンテコステは、およそ2000年前の五旬祭に、弟子たちが、エルサレムで泊まっていた家で起きました。マルコ福音書の作者、マルコの実家の、その二階の部屋でのことでした。

聖霊は、このペンテコステの日、2000年前の一日に、また、一年に一度のペンテコステを覚えて礼拝する、今日この日にかぎって聖霊が降る、注がれるのではありません。いつでも、どこでも、聖霊は降り、わたしたちは聖霊に満たされているのだと思います。

わたしたちは、聖霊の降臨を祈り求めるのですが、毎日が聖霊降臨日、ペンテコステの日であると思うのです。ペンテコステの一日が、非常に劇的な、特別な聖霊体験であったことは確かですが、わたしたちの毎日が、基本的な聖霊の導きにあることは確かなのです。

ある先生が、聖霊に満たされると、心は熱く、しかし、頭は冷静になると言いました。聖霊に満たされると、心は熱く燃えます。しかし、頭は冷静に落ち着いて考えることができるというのです。

聖霊を受けて生きる人は、熱いのは心です。心は、人を思いやることができます。しかし、頭は静かに、公平に物事を見ることができます。わたしたちは、真理の霊を受けて、心を燃やして、冷静に世の中に出て行くことができるのです。

与えられた聖霊降臨日の聖書日課は、マタイ福音書12章、神が選んだ僕という箇所です。

主イエスのことを、預言者イザヤを通して言われていたことが実現したと言いました。

引用は、イザヤ書42章1~4節です。

広い意味で、ペンテコステの出来事は、旧約聖書の言葉の実現です。

その日、聖霊に満たされて話し始めたペトロの説教です。(使徒言行録2章14節から)

ペンテコステの奇跡は、預言者ヨエルを通して言われていたことでした。

「神は言われる、終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたち息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」

すべての人に神さまの霊が注がれました。預言、幻、夢は、神さまをあらわします。

わたしたちの世界は、神さまの言葉が実現したものです。ヘブライ人の手紙11章です。

「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、したがって見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」

神さまの言葉によって世界が造られました。神さまの言葉が実現したのが、ペンテコステなのです。

霊に満たされると、決して頭がかっとなることではありません。今日の聖書証言です。

見よ、わたしの選んだ僕、私の心に適った、愛する者、この僕に私の霊をさずける。

霊を受けた僕が、正義を知らせます。

注目すべきは、「争わず、叫ばず、正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない」という言葉です。

霊の人は、傷ついた葦を折りません。傷つき折れた植物の葦は、体の不自由な人のことです。

くすぶる灯心、消えかかった灯は、炎すらなく、最後はくすぶるのみのことです。しかし、霊の人は、悲しみに沈んだ人、希望のない人の、最後のくすぶる火を消さないというのです。

主イエスは、神さまの霊をさずけられ、皆の病気をいやして回りました。傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さないのは、主イエスの、そのご生涯でした。争わず、叫ばす、人々を慰めて回った主イエス、その霊の人の霊を、わたしたちは受けているのです。

霊の働き、霊の賜物にわたしたちは生かされています。愛の霊に満たされた人は、愛に生きるのです。

ある先生が、現代世界の特徴を、3つあげました。

わたしたちは、かつて経験のない時代を過しています。

一つは、売買が可能な時代です。何でも売り買いできます。欲しい物が供給されています。お金さえ出せば、命までも売買されているような時代です。

資本主義は、お金がすべての価値の基本です。

かつて、王様であっても、何から何まで手に入ることはできませんでした。しかし、現代は、食べるものでも、何でも、お金で手に入るのです。

現代世界の2つ目の特徴は、変化の時代ということです。これほど何から何まで変化していく、変わりが早い時代はありません。

ものごとが安定しない時代です。何でも短期間に変わっていきます。

技術や、ものごとの仕組み、考え方は、かつてはゆっくりゆっくり変わっていきました。しかし、現代は、そういう変わらないものはなにもありません。

そして、現代世界が備える特徴の3つ目は、宗教が縮小したということです。宗教がはたしてきた、社会の客観的な価値観が、縮小したということです。

個人が勝手に、ものごとのよしあしを判断せざるをえません。物差がないのです。

反面、人は孤独になっていきます。

何でも売買が可能です。すべてがあっというまに変わっていきます。そして、宗教の役割が縮小しました。ものごとがよいかわるいかは、個人が、主観的に判断する時代です。

霊の働きには、いろいろな側面があります。

主イエスに授けられた霊、その霊を、主イエスが約束のとおり注がれ、満たされ、教会がはじまりました。神さまの正義が知らされ、勝利に導くのです。

その霊の姿は愛です。彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消しません。わたしたち異邦人は、彼の名、主イエスの名に望みをかけ生きるのです。

いやしの時代です。いやしの音楽が売れています。

現代世界のかかえる仕組み、売買社会、変化の時代、宗教が縮小した時代という話を紹介しました。しかし、可能性があるのです。もういちど宗教の復権、愛の神、神は霊です。神さまは霊をもって臨んで、現れるのです。

聖書の霊は、神の息、神の風です。霊を与えてくださる神さまのいぶきを感じ、風を受けるのです。

風は吹いています。その風の中に、わたしたちは生かされています。

謙虚に神さまを信頼し、霊をより多く受けることを望み願い祈ります。

愛の神さまのみこころに従うことができますように。

かつとならず、愛の心を燃やして歩みたいものです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加