ルカによる福音書21章25~28節
「人の子が来る」
21:25 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。21:26 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。21:27 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。21:28 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
ルカによる福音書21章は、小黙示録、終末予言と言われる箇所です。
オリブ山から、エルサレムの、当時威容を誇っていた神殿を一望に見ることのできる丘から、主イエスは終わりについて予言しました。
神殿の崩壊を、いろいろな終末のしるしがあり、神殿とともにエルサレムが滅亡することを予言しました。そして、人の子が来ると予言したのです。
21章全体は、終わりの予言であり、終わりが来るということの備えへの警告です。
本当に世は終末の時代を過ごしています。そこに人の子は来るというのです。
人の子は、メシア、キリストのことです。終わりの時、キリストが来られ、わたしたちを救ってくださるのです。
それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
人の子とは、主イエスご自身のことです。主イエスは、ご自身のことを人の子と言われました。
人の子という言葉は、旧約聖書のダニエル書に三回出てきます。
一箇所は7章です。見よ、人の子のような者が天の雲に乗り、日の老いたる者の前に来て、そのもとに進む。
二か所目、三か所目は8章と10章です。
これらはダニエルの幻、お告げです。終わりの日、エルサレムの神殿は異教の神に仕える。偶像礼拝の場所となる日が来るというのです。
終わりの出来事が起こり、人の子が、すべてのことの裁き主、救主。メシア、油注がれた者、キリストが現れる。それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
天体異変、天変地異の預言です。
崩壊は、かつて何度もイスラエルが経験したことでした。
紀元前722年、北イスラエル王国は、北東から大国アッシリヤに攻められ、都サマリヤは陥落します。
紀元前587年、かろうじて生き延びていた南ユダ王国は、東の強国バビロニアに攻められ、エルサレムは炎上し、神殿は崩壊します。
王ヒゼキヤは、両眼をえぐられ、足枷をはかされ、バビロンに連れていかれました。
不安と恐ろしさ、天体がゆり動かされたような経験をしたのです。
そして、主イエスの終末預言です。人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見るというのです。
もう一度、ダニエル書の7章、ダニエルの幻です。見よ、人の子のような者が天の雲に乗り、日の老いたる者の前に来てそのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民はみな彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない。
ダニエルは、マカベヤ家が王家の時代、シリアのセレウコス王朝の支配下、アンテオコスという王に反乱しました。マカベヤ戦争です。ダニエルはこの戦争の時代の預言者です。
シリアは、マカベヤ家の反乱を徹底的に弾圧します。一軍が全滅しました。まさに天体がゆり動かされる経験をしたのです。不安、何が起こったのかとおびえる人々、気を失う人々が出ます。
しかし、ダニエルは、その時人の子が雲に乗って現れる。救いが来ると預言したのです。
戦争は絶えません。その後ユダヤは、ユダヤ人の国イスラエルは、ローマ帝国によって壊滅させられます。再建された神殿はまた焼き落とされたのです。
たびかさなる戦争の経験、天変地異にまさるような経験を、イスラエルのみでなく、世界の歴史は繰り返してきました。
そういう終末の経験をして、ダニエルは、その時救主が現れると預言したのです。
どうして、悲惨の中に神さまの救いが隠されているのか、それはわたしたちにはわからないことです。しかし、預言者たちは、深く深くみ旨を求め、この悲惨な時代にこそ、救いが来ることを知らされ伝えたのです。
何故様々な苦しみの中で救いが見えるのかはわかりません。しかし、神さまの御言葉を聞き、伝えたということです。
人の子が来るというダニエルの預言を、主イエスは、エルサレムの神殿の崩壊を前に、また起こる、終わりが来る。しかし、その時人の子が、救主が来られることを伝えました。
それはご自分のことでした。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の日が近いからであると言ったのです。
今日の聖書、主イエスの終末預言、主を待ち望みつつ生きる信仰者に三つのことを伝えます。
一つは、世界には不安があるということです。キリストがいつ来られるのかはわからないのです。知らされていないのです。その前に天体がゆり動くのです。
二つ目は、この教会は悩みを負うということです。主が来られるまで、全世界の人々、全国の人々、キリストを信じて教会に加わった人々が負うのです。
偽預言者の出現が教会内部で起こります。終りが来るまで、内部に矛盾があり、引き裂かれるのです。多くの人が惑わされます。
愛が冷えるということが起こり得るということです。
クリスマスは終末的な出来事です。終わりの出来事、終わりのような世界に、神さまはその独り子を差し出してくださいました。
三つ目は。人の子が来るということです。
救いは、はっきりとキリストの誕生に、そのご生涯に、その十字架の死と復活に、わたしたちに示されているのです。
今日からアドベントに入りました。
アドベントは待降節、キリストのご降誕を待つ時です。
しかし、アドベントは待つことだけではありません。アドベントは、言葉通りには到来という意味です。人の子が来た、来つつあるということです。
わたしたちのところに、キリストが今来ようとしているということです。アドベントは人の子の到来なのです。
ですから、アドベントは人の子が来るのをお待ちするのです。
主イエスは、人の子が来ると言われました。
何が起こったのかと、人は不安に悩みます。そしてそれは、わたしたちが不確かなことの中に身を置いているということではありません。
一日一日が、救いの完成に向けて備えをする日々として備えられています。人の子が来るというのです。
御言葉に聴きつつ、今年もクリスマスを迎えたいと思います。